古きを訪ねて新しきを知る

向野 義人
福岡大学スポーツ科学部教授(所属は掲載時のものです)

第2内科勤務のころ、同僚の清永先生(現スポーツ科学部教授)が、検査結果を見せて、「なにかいい治療法はありませんか」と声をかけてきた。

足趾で血流を測定したデータによると、右下肢の血流が極めて少ないことが示されており、血管を写した写真では、右の下肢に分布する最も大きな血管が閉塞していた。そのため、少し歩いただけで歩行に必要な酸素が不足してしまい、痛みが出現する。この例では50mほどしか続けて歩くことが出来ず、休み休み歩くのを常としていた。

閉塞した血管を広げる手技の適応はない上に、薬物治療など西洋医学的に考えられるあらゆる手だてを用いてみても、痛みを覚えずに歩行できる距離が伸びないため困ったあげくの相談だった。

とっさに、ある一説が頭に浮かんだ。 ”月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。・・・ももひきの破れをつづり、笠の緒つけかへて、三里に灸すうるより松島の月まづ心にかかりて・・・”という冒頭で始まる松尾芭蕉の『奥の細道』のことである。

江戸から奥羽・北陸を経て美濃の国大垣に至る、行程約2,400kmにおよぶ長い道のりを踏破するための心得として、足の「三里」というツボに灸をすることの効能を説いていたからである。

昔から、三里に灸をすえると、下肢の疲労が早く回復するとされてきた。この効果は下肢血流の改善と考えられるので、この症例の治療として足三里への刺激を提案した。

行動的な彼が、”すぐ、やってみましょう”と応じ、灸のかわりに生理食塩水を皮内へ注射したところ、効果はてきめんで、すぐに歩行距離が伸びた。その後も、彼による足三里への生理食塩水皮内注射刺激が継続され、とうとう痛みなしに歩き続けることが出来るようになった。

そこで、再び、血液の流れがどうなったかを調べてみた。足趾での血流はかなり増加していたが、下肢に至る大きな血管は閉塞したままであった。

そもそも心臓から血液を送り出す、あるいは心臓に血液を送り返す血管は、大きな血管から順次細かく枝分かれし、互いにバイパスを形成しながら、最後は直径が10マイクロメーター(1/1,000cm)ほどの非常に細かい血管となる。その結果、網目状の血管網が体の隅々にまで分布して微小循環を形成し、その長さを総計すると地球を二周するという、とてつもなく広範囲な酸素供給システムとなっている。そのため、下肢の大きな血管の一つの流れが悪くても、このバイパスの発達が促進されれば、歩行に必要な十分量の酸素が供給される仕組みになっている。この例で、下肢の血管が閉塞したままにも関わらず、痛みなしに歩き続けることが出来るようになったのは、足三里刺激でバイパスの発達が促進され、微小循環が改善したことを意味している。

下肢血管の閉塞した他の例にも足三里の刺激を試みたが、効果は同様であった。実験的に急性の筋肉疲労を起こし、足三里への刺激効果を調べたところ、下肢循環を改善させ疲労を早く回復させることがわかった。

下肢循環の改善や微小循環の発達は、近年、健康度の目安とされてきた最大酸素摂取量を増加するので、足三里の灸は健康の維持増進にも役立つ効能があることになる。

ところが、このこともすでに吉田兼好が『徒然草』の中で、”四十以降の人、身に灸を加えて、三里をやかざれば、上気の事あり・・・”と述べ、40歳を過ぎて足三里に灸をしなければ、上気、つまり生命活動の根源的物質である”気”に異常が起こるとして、健康の維持増進のためには足三里の灸が欠かせないとした当時の考えを書き残している。貝原益軒80歳のときの集大成『養生訓』においても然りである。また、足三里の灸を毎日続けて243歳まで長寿を保った百姓・万平の伝説や、「三里の灸を絶やさざれば無病息災なり」との言い伝えなどもあるほどで、古人が足三里の灸に対していかに強い期待をこめていたかがわかる。

これまで、ツボを刺激して病気を治療したり健康増進を図るという事は、過去の遺物として無視され続けてきた。しかし、足三里の例で示したように、昔の人の残したものには現代の方法論を補完し、新たな可能性を展開するものが含まれており、21世紀への新たな幕引きに向けて、古来のこういった治療法を見直すべき時が来たと考えている。

福岡大学コミュニケーションマガジン「ネビュラ」Vol.2より