動きに経絡概念を導入する有用性

第1章 経絡と動き
1-2.経絡の動きの制限と病気
1-2-2.動きに経絡概念を導入する有用性

人がある動作をするときにはその動きを支える主たる関節局所の力学的バランスに加えて全身の動きとの連携や他の関節からの影響を受けている。例えば、操体法を考案した橋本敬三氏が指摘したように、仰向きに寝て、足の親指の先に板をおいて、その板を指先で突き破ろうと試みると、まず足首に力が入り、腰に力が入り、脊柱に力が入って、手の指先や頚まで力が入り、最後には顔面の筋肉にいたるまで緊張する。言い換えれば、身体の一つの動きには全身がすみずみまで一緒に動くことになる。この現象は、限界に到達するまでの力をふりしぼった動きに限ったものでなく,わずかな動きの際にも同様にみられる。これら一連の動きの一部にでも動きを制限する要因があると、動きの円滑さが失われ、痛みなどの症状がおこってくる。この場合、動きの制限を受けている部位とは異なった部位に痛みなどが出現する事を我々は多くの例で観察してきた。

経験した症例の中から具体的に説明をする。症例(図1-12)は62才の男性で、庭の草むしりを数時間した後に腰痛を発症し、痛みが2週間たっても軽快しなかったため受診した例である。

図1-12 草むしり後胃経上に出現した異常
図1-12 草むしり後胃経上に出現した異常

腰を伸ばしたときにおこる腰痛であり、経絡にそった動きの制限という視点からは、身体の前面、特に胃経の伸展が障害されていた。胃経への鍼治療で腰痛は軽快した。1週間後に歯みがき時のうがいに際して後頚部に痛みがあると訴えた。うがいの際には、頚は後屈され、頚部前面が伸展される。この動作に伴う痛みなので、頚部前面の伸展障害と判断され、腰痛の原因となった胃経上に引き続いて発生した一連の異常としてとらえることができ、足三里への鍼治療で即座に軽快した。この症例が、西洋医学的診療を受けた場合、腰椎や頚椎のエックス線写真で年齢相応の変形などの所見が見つかり、その診断のもとに牽引を行ったり、痛みを訴える部位に何らかの処置を行うはずである。たいていの場合、即効は期待できない。検査で明らかになった所見と痛みとの間には何も因果関係がないにも関わらず、痛みの部位のエックス線所見を短絡的に痛みの原因として判断するからである。

次の様な例もある。数日前の転倒による膝や足首の外側のささいな打撲が誘因となって、バレーボールにおけるアタック時肩痛が出現した選手である(図1-13)。

図1-13 下腿外側打撲後の胆経上に出現した異常
図1-13 下腿外側打撲後の胆経上に出現した異常

この例では、整形外科的精査では異常を認めず、様々な治療で痛みがとれなかったが、肩痛出現前に打撲した膝や足首への鍼治療のみが特異的に肩痛を消失させた。本人も自覚しない程の打撲にすぎなかっ事が極めて興味深かった。肩関節の構造やその動きの特徴を介して肩痛を理解する立場からは、奇妙な鍼の効果との印象を与えるが、鍼灸における経絡の概念によれば膝などへの打撲が下肢と肩にまたがって分布している胆経という経絡のルートに沿った動きの制限要因となり、アタック時に最も動きを強いられる肩に痛みを引き起こしたととらえる事が可能である。この様に痛みを訴える関節以外の要因が主たる影響を与えている場合には、痛みのある単関節の詳細な分析のもとに治療を組み立てるこれまでの西洋医学的方法論には自ずから限界がある。一方、症例で示したように、経絡という概念を応用した上で愁訴の原因となっている動きを判断すると人における多関節・多軸にわたる動きの全体像を把握する事が容易となり、治療すべき部位を知ることができる。我々の経験によれば、痛みの部位に明らかな器質性病変が見つかったとしても、それが痛みを引き起こしている原因となっていない場合がしばしば存在する?例えば、ひどい腰痛とMRIの所見で腰椎椎間板ヘルニアという診断がついた場合でも、痛みを引き起こしている要因をヘルニアではなく、他に求めるべき場合があるなどの様にである。病態を経絡の動きの異常としてとらえようとする試みは西洋医学的方法論に欠落した部分を明らかに出来るとともにその部分を補いうる方法となる可能性がある。